保険福祉課に行って事情を説明すると『ちょっと待っててください』と言い渡され、別のおじんが出てきて第一声『で、どうしたいの?』なんだろうその横柄な態度は、と思いながらも説明を繰り返すと『国としては施設をつくってないんですよ』うわ〜そんなことよく言えるねっ!マジですか!?民間って実費やん、ありえへん!
施設についてはインターネットで探してくださいとさらーっと流され、32条についてと精神障害者保険福祉手帳の説明を聞かされる、いかに国がなんの取り組みもしてないかをごまかすような長ったらしい説明、おっちゃん書いてあること読み上げんでも自分で字ぃ読んだら分かるし、と思いつつ丁寧に挨拶して帰る。こんだけ制度として何も保証されていず(手当や年金はもらえるかもしれんのにこの時点ではそのインフォメーションも無し!)公的な受け皿も用意されていないってあり得るんやろか?『自分らでなんとかして状態』
いただいた助言のように抜け道を探すしかない。でもどうやって人が話さないことを聞き出せば良いのだろうか?と思ってると友人のあのひとこのひとが精神科にお世話になっていたり、身内の人がかかっていた体験をもってたりすることに思い当たる。若くて病識のある当事者の体験と母の状況はまた違うんだろうけど
帰り道図書館で調べもの
パーマカルチャーの本は先約ありで借りれず、甲南のモグリの学生として授業を聞きに行った映像作家の
坂上 香さんの本
『癒しと和解への旅』を探す。ずーーっと気になってて読めていなかったのですごく読みたかったが、本来の目的の精神障害者の自立系の本を借りねばと思い直しあきらめる。
何冊かざーっと流し読みするうちに
東京練馬の「つくりっこの家」(
『ともに生きる精神障害-地域へ、孤立を超えて』河北新報社編集局編から知る、この本は良かった!)
調布の「クッキングハウス」北海道の「べてるの家」その他にも精神障害者が地域の中で他人に必要とされ繋がりあいながら暮らしている場所がある事を知る。ここまで行き着く為にもまず通院だろう。本を読みすすめるうちに精神障害者の生きづらさがそんなに自分と遠いものではないことを感じ、もし私が発病したらどんな風に生きていきたいかを考えて動くようにしようと決める。やっぱり長期入院はさせたくない。こんな当たり前の母に対する心の寄せ方も、いざ一緒の空間で生活しだしたら一瞬で消えるのだろうなと予想でき、距離を置いて生活することがどれだけ自分の精神的な安定材料になっているのか実感する。母に対して、社会に出て労働をせずとも裁縫したり大好きな家の間取りを書いたりして楽しい事をしながら生きて欲しいという願望が強いので、社会復帰前提の若い当事者に対する情報や施設はちょっと違う気がする。きっと自分の家には住み続けたいだろうし。
1)通院させて精神障害者手帳をとる
2)手当や年金をもらえるかどうか調べる
本を読んでると伯母からメール
母を連れ出して一緒に海を見てるらしい、添付してくれた写真の海は青く透き通った凪
伯母には生きているうちにありがとうをいろんな形で伝えなければいけない
<借りた本>
制度編〜
『精神障害者が使える福祉制度のてびき2004』(財)全国精神障害者家族会連合会
『生活を支える権利擁護-大阪後見人支援センターの事例をもとに』大國美智子編
『精神障害者の地域生活』牧野田恵美子著
生き方編〜
『不思議なレストラン-クッキングハウス物語』松浦幸子著
『降りていく生き方-「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』横川和夫著
『悩む力-べてるの家の人びと』斉藤道雄著
『障害者に施設は必要か-特別な介護が必要な人々のための共同生活体』ニルス・クリスティー著
『ヨーロッパにおける施設解体-スウェーデン・英・独と日本の現状』河東田博著
オルタナティブな(だって国の施設がないからそうならざるを得ない)施設のことを考えてたら
『すべての些細な事柄』やNZで垣間見た
知的障害者施設HOHEPAや近所にある地域密着型の喫茶店を思い出した、そこは"博愛祭り"なんてものをしていたりして宗教系か?と思いきや、スティールパンや太極拳の教室があったりパン(たぶん作業所で焼いてる?)が売ってたりするので給料がはいったらお茶を飲みにいって色々聞いてみよう
『遠足 Der Ausflug』この映画が気になる
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マツハシ姐さんのチラシが届く
すご〜い!頭の中の画像が念写されて出てきたよう!
いや、もっと良くなってる!
サイボーグ並みに美しい体ですね
部屋に飾ろうと思う
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今朝かた自慰を試みる、が、何も感じない
心理的なものが影響してのインポテンツか?
ショック!カムバック性欲!